« 骨盤骨折1 | メイン | 骨盤骨折3 »

骨盤骨折2

インターラーケンの病院は、1軒しかないらしい。
救助ヘリに私を乗せた後、夫が病院の名前を聞いたら、返ってきたことばは「ホスピタル」だったとのこと。

私の病室は6人部屋の大部屋、耳の遠いおばあちゃんもいるので、夜寝るまでテレビの音が大きい。
それに、いろいろな人がお見舞いにやって来る。
そこへ、ナースがお茶を出したりしているようでした。
ふーん、所変われば、ですねえ。

私のベッドからの対面は大きな普通の窓でベランダに出られ、そこには椅子と灰皿が置いてあった(夫のことばでは)。
右側は、インターラーケンの展望台がある小高い丘が見える。
そこの頂上付近から、ふわり、ふわりと毎日のようにタンデム(おそらく)のパラグライダーがいくつも舞っている。
とても、療養しているとは思えず、旅行の続きをベッドで見ているかのような光景を毎日見ていました。
ヘリポートが近くにあるので、ときどき救助ヘリの音が聞こえていたので、私もお世話になりましたと、身近な存在として捉えていました。

が、私は全然動けず、下の世話になりながらの病院生活で、食べ物もスイス人好みなので、量が多くとても食べきれません。
早く日本に帰りたいと願う私に、カードの保険会社はいろいろクレームをつけてくるのでした。
最初は、インターラーケンの病院も、「日本に帰って、もし、手術が必要と言われても断ったほうが良い」といっていたのに、1週間後、乱暴な扱いでX腺を撮った後、いきなり手術が必要ですと言い出す始末。
保険会社の随行するドクターがクレームをつけているらしかったのです。

日本の受け入れ先の病院との都合もあり、何回も帰国が延び、やっと帰れる手筈がついたのは4度めの正直でした。

スイスエアで搬送されることになり、チューリッヒまでほとんど身動きとれない簀巻き状態でエアマットにくるまれ、飛行機の出入り口でもまっすぐには入らずに、体を曲げながらやっと6席分を使ってベッドはくくりつけられました。
フランス人のドクターと男性ナース(力仕事だからでしょうか、男性でした)が随行し、長い長い時間(普通に座ってるほうがよほど短く感じられます。ベッドに寝ているだけというのは、楽そうに見えて実はとっても大変です)を経由して、やっと日本に戻ってきました。

日本の病院の部屋に通されたときは、これからの長い道のり(療養を考えて)のほんのとっかかりに辿りついただけという気がして、あまり喜べませんでした。

コメントを投稿