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2008年10月31日

浮腫みに効くアロマレシピ

両足骨折していると、むくみ方もひどくて、今までなったこともないほど、足首が象足になりました。
父もかなり象足に近い状態になることがありますが、それを人ごとだと思っていた私。
ところが、自分の足の甲が両足ともパンパンになり、足の筋も見えなくなるほどになると、ひしひしと『ま・ず・い』ということばが身に迫ってきます。

ただ、推拿(マッサージ)しただけでは効きが悪い。
そこで、アロマの力を借りて、推拿すること2週間。
左足は外くるぶし(外くるぶしの腓骨を骨折してます)近くを残して、むくみはかなり消えてきて、右は(脛骨膝部分を手術してます)、半分ぐらいむくみ方が減りました。

そして、4週間たった現在は、左はほとんどむくまなくなり、右は足の甲に筋がかなり見えてきて、8割方むくまなくなりました。
朝・晩、せっせと擦り込んで推拿(いい加減な推拿ですが)した甲斐がありました。
いやあ、効くもんですねえ。

参考までに、レシピをお知らせします。
効かない場合は、すぐ違うものに作り変えるので、20mlで作っています。

ゴールデンホホバオイル(未精製のもの) 20ml
ローズマリー・シネオール Rosmarinus offcinalis BS 1,8-cineole 2滴
サイプレス Cupressus sempervirens SD/DO leafy branches 4滴
ペパーミント Mentha piperita SD/DO whole plant with flowers 1滴
真生ラヴェンダー Lavendula officinalis SD/DO flowers 5滴
シベリアモミ Abies sibirica SD/DO leaves 1滴

使った精油は、エルバ・エルヴェティカのもの。
メディカル・ユースに使うには、ここのものがベストと思っています。
ここのHPに載っているレシピでは、私には強すぎて皮膚が負けてしまい(アレルギー体質なので)、ぶつぶつができてしまうので、配合を変えてみました。

ここの精油は、食品添加物として輸入されていますし、ガスクロマトグラム(波形)や分析表付きで、nez(鼻の意味)と呼ばれる芳香鑑定士が臭いをチェックしているので、とても良い匂い。
バランスのとれている精油は、匂いも芳香を放つという良い見本です。

2008年10月20日

ニンシアレッド(枸杞の飲料)

ニンシアレッド<br />
ヤングリヴィング社では『ニンシアレッド』という名前の栄養補助食品が出ています。
ヤングリヴィングは、ちょっとかわった販売方法をとっているアロマ関係の会社で、ニンシアレッドは食品として販売されています。

そのニンシアレッドの中身は、
枸杞ピューレ、アガーペ、ブルーベリー濃縮果汁、ざくろ濃縮果汁、アプリコット濃縮果汁、ラズベリー濃縮果汁、濃縮ぶどうピューレ、ビタミンC、酒石酸、ブルーベリー香料、保存料(安息香酸Na、レモン精油、オレンジ精油)
と記載されています。
(保存料の中に精油が記載されているのは、この会社が食品添加物として輸入しているため。食品添加物として輸入されている精油は他のメーカーにもあります)

お試し精油セットを購入したときに、サンプルとしてニンシアレッドがついてきたのですが、米国で作られている枸杞ベースの飲料に、ちょっと驚きを感じたのです。

どんな味かって?
酒石酸や安息香酸Naなぞが入っているものを、わざわざ飲むわけないでしょ?

枸杞やブルーベリーなど、目に良いものが入っているので、飛蚊症がよくなったという記事もあるようです。
せっかく良いものを使っているのに、酒石酸などの酸味を足したり、保存をよくするために安息香酸Naを入れたりしていなければ、商業ベースの飲物だとは思わないでしょうに。
それと、アガーペって、何でしょう。リュウゼツランのことでしょうか。

2008年10月14日

骨盤骨折5

入院してベッドで横たわっている期間が長いと、脾胃の働きが弱り、気も消耗します。
骨折しているところをつなぐために安静にしていると、筋肉は使われないので、細く弱くなります。
折れた骨をくっつけるためにしていることは、他の器官にとっては、はなはだ迷惑なことなのです。

入院中は、あまり動けないので、夜もあまり眠れず睡眠剤を、胃の動きが弱いので下剤を飲んでいました。
さすがに退院するときは、睡眠剤と下剤は断りましたが、退院した日の夜はつらかった。

通常はふとんで寝ていてもそれほど堅いと感じたことはありませんでしたが、折れた仙骨に堅いふとんでは眠れず、膝を立てては伸ばすという動作をひっきりなしにしていて、ほとんど眠れませんでした(夜が長かった)。
入院の最後の方は、やはりひっきりなしに目が醒めていたので、睡眠剤も効果が落ちていたことになります。

とにかくふとんが堅いので、テンピュールの敷きふとんの上にかけるオーバーレイを注文しました。
3.5cm厚のものですが、低反発のマットレスは体重のかかる部分がうまくへこんでくれて、痛くて眠れないということはなくなりました。

でも、陰陽のバランスが崩れているので、90分ごとに目が醒め、夜中に3回もトイレに行くことに。
入院中だとベッドなので、比較的トイレに行きやすいのですが、ふとんから立ち上がるのはとても難儀。
つかまり立ちステッキ(籐のものです)を足元に置き、そこにつかまるまでが大変です。

現在は、睡眠中もやたら喉がへばりついた状態だったのが、だんだん改善されてきて、夜中にトイレに起きるのは1回になりました。
しかし、足の浮腫みはまだとれていません。
入院中は、足を下に下ろす時間より水平の時間の方が長かったので体液が下に溜まるということはありませんでした。
しかし、退院後は起きている間、足は下にあります。
動いている時間より何もしないで足が降りている時間が長いせいかとも思い、小まめに動くようにしていますし、アロママッサージでリンパ液を還流するように、足反射で腎から膀胱に流すようにしています。
少しだけ、先週に比べると象のような足(特に足首)が解消されてきて、足の甲の筋もちょっとだけ感じるようになりました。

あまり動かないで、家にいることの多い父の足がやはり象足になっているのは、筋肉のポンプ(ふくらはぎ)があまり働いていないことが大きいと思います。

リハビリグッズを見ると、高齢者用のものが多く、高齢者の痛みを知るために自分がこんな目にあったのかと思うこともしばしば。
あまり、自分で試したくはないんですけどねえ。
でも、治るためには必死でいろいろ試すので、効果の程はよくわかります。

2008年10月13日

骨盤骨折4

骨盤と両足を骨折して2か月たったとき、X線を撮りましたが、まだ立つことができるほど骨は回復していませんでした。
骨折して7週間目、膝下にできていた血栓が認められなければリハビリを受けられるということで、エコー検査を両足受けました。
これが念入りで時間がかかり、まだ続くのーといった感でしたが、この検査結果では血栓が認められないということで翌日からリハビリが始まりました。
チルトテーブル(水平のベッドから徐々に垂直に立てていく)を4日、
歩行器で立つ練習1日、
平行棒5日(この間は均等加重、体重の半分しか片足に掛けられないので腕でその分支えなければならない)
翌日ポータブル便器使用になり、半分だけ人のお世話にならずに用を足せるようになり、とっても嬉しかったのを覚えています。
9/9、清拭(熱いタオルで蒸しながら拭いてくれます)の代わりに、シャワー用の車椅子になりました。
9/11、部屋の中の伝い歩きオーケーになり、シャワーまで自分で行けるようになり、車椅子ではなく普通のシャワー椅子になりました。歩行器もリハビリ室から借りれました。
9/13、自分の部屋に置いておけるシャワー椅子ゲット。
9/18、リハビリでT字杖で歩く練習になり、松葉杖を飛び越して1本杖を使えたことにステップアップした喜びを感じました。
9/19、リハビリ室からT字杖を借りれたので、ナースと一緒ならナースステーションの回りを歩けることになりました。
9/20、親が買った未使用のT字杖をマイ杖にできたので、リハビリ室から借りた杖は返却しました。
9/23、ナースと一緒だとナースの都合もありなかなか歩く練習がはかどらないので、前日に先生に許可をもらい、杖で歩くのに病棟内フリーにしてもらいました。
9/24、リハビリで作られた階段の練習。
9/25、緊急用の実際の階段で歩く練習。
9/26、寝た状態から起き上がる練習。
9/29・30、膝に負担が一番かかるので、リハビリ室では膝をマッサージしてくれて、その後階段の練習。

そして、一応杖で階段の昇り降りができるようになったので、その後のリハビリは日常生活をこなす方がリハビリに有効ということで、10/1に退院できました。
先生は、仮釈放と言っています。
歩くということは骨盤にとても負荷のかかることで、歩きすぎると傷めていないはずの腰にも負担がきます。
持久力をつけ、障害物をうまく避けられなければ、電車に乗って移動するということもできません。

2008年10月07日

骨盤骨折3

日本の病院に搬送され、手術するのではなく安静にしている方針に決まり、ホッとしていたのも束の間。
右の膝下に血栓があるといわれ、折れた箇所は左側のほうが多いのに、おかしいと思った医者が右膝のX腺写真をオーダーしたところ、脛骨が折れているのを発見しました。
関節部分で手術が必要とのこと。
さらに、左のかかとが重くて痛いというと、やはりX腺をとることになり、その結果足首の腓骨が折れているのが判明。

インターラーケンでは、腰から上のCTを撮っていたようで、下肢にはあまり注意を払わなかったみたい。
日本の医者もそういう写真の撮り方もあるけど、骨盤だけでなくさらに両足を骨折していたことにびっくりしたようです。

結局右膝の手術は受けましたが、左側の骨盤を何カ所も折っているので脊椎麻酔ができなくて全身麻酔になりました。
手術後、痛みは来るし、喉が渇いてはりつきそうになり、とても難儀でした。
手術後が腫れないようまわりを冷しつつ寝ていましたが、関節は動かさないと固まるといわれ、痛いのに頑張って膝を曲げるようにしていました。
脛骨に付着している前脛骨筋は、足首を上に持ち上げる筋肉なので、足首を曲げようとすると膝が痛いので足首はダラーッとしたまんま。

手術後1週間は尿管カテーテルが入っていましたが、感染や膀胱の尿意がなくならないよう抜いたので、大も小もその都度お世話にならなければならなくて、それが2か月以上も続きました。
そのたびにナースコールをするのは、かなりつらかった。
快くやってきてくださるナースたちには感服しますが、何でも自分でやってきた私にとって、窓のスクリーンの上げ下げ、扉の開閉、洗髪と、すべてのことをナースにお願いしなければならないことに対し、動けない自分がとても嘆かわしかったのです。

2008年10月05日

骨盤骨折2

インターラーケンの病院は、1軒しかないらしい。
救助ヘリに私を乗せた後、夫が病院の名前を聞いたら、返ってきたことばは「ホスピタル」だったとのこと。

私の病室は6人部屋の大部屋、耳の遠いおばあちゃんもいるので、夜寝るまでテレビの音が大きい。
それに、いろいろな人がお見舞いにやって来る。
そこへ、ナースがお茶を出したりしているようでした。
ふーん、所変われば、ですねえ。

私のベッドからの対面は大きな普通の窓でベランダに出られ、そこには椅子と灰皿が置いてあった(夫のことばでは)。
右側は、インターラーケンの展望台がある小高い丘が見える。
そこの頂上付近から、ふわり、ふわりと毎日のようにタンデム(おそらく)のパラグライダーがいくつも舞っている。
とても、療養しているとは思えず、旅行の続きをベッドで見ているかのような光景を毎日見ていました。
ヘリポートが近くにあるので、ときどき救助ヘリの音が聞こえていたので、私もお世話になりましたと、身近な存在として捉えていました。

が、私は全然動けず、下の世話になりながらの病院生活で、食べ物もスイス人好みなので、量が多くとても食べきれません。
早く日本に帰りたいと願う私に、カードの保険会社はいろいろクレームをつけてくるのでした。
最初は、インターラーケンの病院も、「日本に帰って、もし、手術が必要と言われても断ったほうが良い」といっていたのに、1週間後、乱暴な扱いでX腺を撮った後、いきなり手術が必要ですと言い出す始末。
保険会社の随行するドクターがクレームをつけているらしかったのです。

日本の受け入れ先の病院との都合もあり、何回も帰国が延び、やっと帰れる手筈がついたのは4度めの正直でした。

スイスエアで搬送されることになり、チューリッヒまでほとんど身動きとれない簀巻き状態でエアマットにくるまれ、飛行機の出入り口でもまっすぐには入らずに、体を曲げながらやっと6席分を使ってベッドはくくりつけられました。
フランス人のドクターと男性ナース(力仕事だからでしょうか、男性でした)が随行し、長い長い時間(普通に座ってるほうがよほど短く感じられます。ベッドに寝ているだけというのは、楽そうに見えて実はとっても大変です)を経由して、やっと日本に戻ってきました。

日本の病院の部屋に通されたときは、これからの長い道のり(療養を考えて)のほんのとっかかりに辿りついただけという気がして、あまり喜べませんでした。

2008年10月04日

骨盤骨折1

なぜ、3か月もお休み(何もかもです)するはめになってしまったかというと、旅行で行ったスイスで、ハイキング中に崖から落ちて骨盤を骨折したことにあります。

ハイキングはスイスが初めてでしたが、土曜日はテニス、日曜日はエアロビクスを毎週続けていたので、山登りは無理としてもハイキングくらいなら大丈夫と思っていました。

モンブランで片道30分のショートハイキングを楽しんだのを皮切りに、落ちた日は8回めのハイキングでした。
インターラーケンに近いブリエンツ湖が望めるロートホルン鉄道で、展望台に行った日は、ミスティで霧に煙ってなんにも見えない状態でした。あれほど一寸も見えないほど霧が濃いのは珍しい。それまで、晴天が多い日ばかりだったから。

ツァーの人たちは展望台のレストランで何も見えない景色の中、ランチを食べていましたが、途中駅にもレストランがあると聞いたので、夫と私はそちらに行くことにしました。
レストランでは、2組の人しかいませんでしたが、霧は晴れていてブリエンツ湖がくっきりと現れ、食事後に歩いて下山しても大丈夫に思えました。
しかし、そのハイキングコースはあまり人が通らないコース。途中に会ったのは、レストランにいた人たちで近くに別荘をお持ちの家族でした。

ハイキングコースの道しるべ(石に赤い印)をたどりつつ、そろりそろりと歩いていたのですが(レインジャケット、ストック、スパッツと、もちろんトレッキングシューズ)、道の途中にあるきれいな花の写真を撮ろうとした後、片側の崖から落ちたようです。あいまいな言い方なのは、記憶が飛んでしまって、気がついたのがインターラーケンの病院だったからです。

夫が言うには、「きれいな菊科の花」と私が言った後、「あっ」と言う声がして、振り返ったらでん繰りかえってバウンドしながら私が落ちていったそうです。
道端に後で私のカメラのレンズがこわれたまま落ちていたそうなので、写真を撮ろうとしたのは確かなようで、崖の花を撮ろうとするはずがないので、片側の土手(石のブロックらしい)に咲いているものを接写しようとして足を一歩踏み込んですべったのではないかと想像しています。

落ちていく私を見て、夫はダメかと思ったそうですが、私の落ちた場所まで来て声をかけたら、意識があって、でも動けない状態だったそうです。
どうしようと思っているところに、人の声がし、「ヘルプ・アス!」と叫ぶと犬連れのドイツ人女性二人が駆けつけてくれ、携帯で救助へりを呼んでくれたのですって。一人はナースで「I'm a nurse. How many fingers?」と言いつつ2本指を私の前に出したそうな。

救助ヘリには私しか乗れなかったので、夫と彼女達(麓のコテージを借りていた)は一緒に下山し、レンタカーをブリエンツの駅の近くに止めていることを話したら、コテージの彼女達の車でその場所まで行き、一人がインターラーケンの営業所まで返してくれたんですって。何て、親切な方たちでしょう!!!!

もう一台で、インターラーケンの病院まで夫を送ってくれて、私の顔を見ていったというのですが、私は記憶がぶっ飛んでいて覚えていません。

恥骨と座骨と仙骨が折れ、まるっきり動けませんでしたが、病院のとった処置は安静にしているというものでした(CTの結果内蔵も脳も損傷はなかったのですが、頭の外傷に対して3か所縫いました)。

<参考>骨盤骨折2
骨盤骨折3
骨盤骨折4
骨盤骨折5

2008年10月03日

仮釈放

旅行中に落ちた怪我(骨折)で入院していましたが、自宅に帰りました。
まだ、仮釈放の身(自宅でリハビリです。病院のリハビリではできることが限られており、日常生活をこなすうえでリハビリされるから)です。
高齢社会を一気に突き進み(全然、動けなくなって)、また徐々に復帰しているような感があります。